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山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。 東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身〔と記載。〕。浪曲の広沢虎造(2代目)の次男。趣味はゴルフ。早稲田大学文学部卒業〔と記載。〕。 == 来歴・人物 == 1959年、NHKに入局。佐賀放送局で勤務の後、1960年3月、TBSに中途〔経験者採用により移籍。報道局運動部兼ニュース部(1963年11月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道部運動部(1970年7月)、アナウンス室(1979年6月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)に在籍。〔 主にプロ野球、大相撲、ボウリング、国際プロレス、アイスホッケー等のスポーツ中継実況〔、歌謡番組〔、芸能番組〔を担当。また1964年東京オリンピック〔BSスペシャル『青春TVタイムトラベル』 第4回 プレイバック・東京オリンピック(NHK衛星第2テレビジョン/1992年12月26日放送)にてTBSの実況中継キネコ映像と山田の実況が紹介された。〕と1972年札幌オリンピック〔閉会式の実況も担当している。 1976年10月11日、後楽園球場での巨人vs阪神第23回戦の8回裏、巨人・王貞治がベーブ・ルースの記録を抜く通算715号本塁打を放ったが、この試合のTBSラジオの中継放送を担当し、715号の瞬間を実況した。 また、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の戦闘シーンを再編集して格闘技番組風にアレンジした『ウルトラファイト』の実況ナレーションも担当〔ナレーションの録音時にウルトラマンを当時、ロッテオリオンズに所属していたアルトマンと誤って読んでしまった事もあったという。〕。 TBS在局時後期はラジオパーソナリティとして、歌謡曲の番組『二郎で勝負 連続ヒット90分』『山田二郎の土曜だワッショイ!』などに出演。『山田二郎の土曜だワッショイ!』において、第9回アノンシスト賞グランダ・プレミオを受賞〔。1991年2月にTBSを退職〔〔。その後はフリーアナウンサーとして活躍し、 2代目広沢虎造の浪曲関連のイベントなども開催し、司会などもしている。また「虎造節保存会」名誉会長〔同じNHK出身の八木健も同職〕でもある。 またTBSアナウンススクールの講師を務めていたこともある〔講師陣からのメッセージ TBSアナウンススクール公式サイト(2009年当時のアーカイブ)〕。 三波春夫歌唱の「任侠虎造ぶし」を作詞した〔「063-2931-4 任侠虎造ぶし」JASRAC検索結果詳細 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田二郎 (アナウンサー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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